続・himebowのダブルバーズな日々

ヤフー・ブログからお引越ししました。 もうすぐ結成15年のスクェア・トリビュート・バンド「ダブルバーズ」な日々を散りばめつつ、ライフワークな「T-SQUARE」「伊東たけし」「福岡ライオンズ」をコアに攻めつつ、自分史のまとめなんぞもしつつ、日々の備忘録的なブログの続編!?でございます。。。

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昨日の1日。
朝、遅起きして朝風呂。この朝風呂って何て贅沢でしょう。
そして、徒然ブログを投稿。
正午とともにマイ自転車でツーリング? 途中、お気に入りの店で軽いランチ。
天気も最高。川べりの土手を10キロ近く散策。川面は穏やか、水鳥たちがたくさん群れている。春を探してみました。黄色の菜の花が土手一面に・・・
14時過ぎに職場に到着。1時間ほど仕事。
そして、例の橋の下でSAXの練習・・・ 私のFUNKY SOUNDに合せて魚たちが飛び跳ねてたっけ。
17時にはタワーレコードでジャズライフ購入。夜が楽しみ。
夕食は家で。家内がボクの好物を用意してくれた。「ごちそうさま。」
食後、久しぶりに借りた映画を見た。
タイトルは、「俺は、君のためにこそ 死ににいく」です。
いわゆる神風特攻隊を扱ったもの。詳細はココ↓
               http://www.chiran1945.jp/
その当時の精神、当事者達の心理、そしてその家族や愛する人達の悲しみなど思うと胸が痛む。そして、今の我々を支えてくれているのは、戦争を体験された先達のおかげと素直に思うとともに感謝の気持ちを捧げたい。「今年の夏は知覧に行ってみるか」と思いながら眠りについた。
んー、オシャレやね。人気ブログ的に気取って書くとこうなりましたが・・・
じ・つ・は・・・
正午とともに近くの「○き家」に折りたたみ自転車で突入。高菜明太マヨ牛丼かきこみ、ひとりサイクリングに出動。思ったほど春は見つからない。乙津川と大野川の合流点まで行ってみた。高校時代に15キロ・マラソンで走ったコース。帰りは風が逆風でしんどい。
SAXの練習は新しいリードをおろした。「ZZ」の2 1/2ね。リード作ってる間、やけにボラがピョンピョン跳ねる。その数、1度に数匹単位で続く。こりゃ珍しいとカメラ構えるとぴたりと止む。また吹き始めると・・・ かなりの確率で再現性を認めました。曲の練習に入ったら、この現象落ち着きましたわ。オモシロー!
やっぱ、不協音に魚もイライラしたんやね。
晩飯は「豚の生姜焼き」。好物ですな。
映画の件は上記ごとし。ホントに知覧に行ってみようかな。自分探しの一環として。

さて、昨日タワーレコードでこんな本を見つけました。
「フュージョン決定盤101」
新刊です。熊さんはかんでいない。音楽出版社から1600円。
シャカタクのアルバムが入ってなかったりで、101の決定盤ではない気がするが・・・
序章のフュージョンについては非常に分かりやすい。
1967年、ジャズ界の精神的支柱、コルトレーンの死により当時のフリージャズの終焉。そして、ジャズメンはジャズのポピュラー化を目指し、ロックなどとの融合を試みる。ここでは'68をフュージョン元年と位置づけて今年は40周年にあたると・・・ぼかしていますが。
各アルバム説明も主観入りまくりですが、FUSION MUSICを学ぶには推薦図書と思います。
私が言うのだから間違いない!!って、1番怪しい?

本日、これまで!!

PS. 画像はマイ自転車、菜の花畑、大野川、乙津川支流と奔流、幼少期に秘密基地作った竹やぶ(まだあった)とツバキの花、20年ぶり?の出身中学。

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3月15日(土)、超晴れ。
今日って、伊東さんの誕生日じゃん。伊東たけし54歳。
昨日届いた例のBOX、早速聞いたが、どうも「たけし節」ではない。
しかも、結構、いけてなかったりする。???・・・ 
クレジットをみると、TAKESHI ITO/YOSHIHIKO SUGIEとある。そういう訳ね。
学生アマチュア時代の音源。メンバーもデビュー・メンバーではありませんが、やはりプロになる人達ってすごいねって感じ。


さてさて、私の野球人生の振り返りもひとり爆笑の中、いよいよ最終日。

1年目の秋季シーズンからレギュラー入り。でも、打てませんでした。
全試合終了後、キャプテンからキツーい一言。「おまえ、このままなら終わりだよ。」
なんのことかというと、例のアッパースイングの件だ。プラスしてバット長く持ちすぎの件。土井正博のフォームでしたから・・・ こっちも我を通したが、結果でなかった。(日ハム・中田みたいやね。)

冬の間、バット短くしてダウンスイングの素振りをくれた。フォーム的には、巨人の土井正三だ。同じ土井でも180度違うわい。

2年のシーズンからは2番、セカンドに定着。細かなプレーを得意とするバイプレーヤーにスタイル変更。「曲者」と思わせといて、その実、何もしない、ことはないか。隠し球はいつも狙ってたな。

学年に独りでしたから、必然的に4年で主将させてもらいました。自分が嫌だったことは下級生に要求しなかったけど、「伝統を崩したなぁ」と後悔しちょります。
最期の打順は4番でした。OBの命令? しかし、ホームラン、打てなんだ。もはや、土井正三打法ではオーバーフェンス望めなかった。打撃練習でも出なかったもんね。

夏の東日本大会の話。旭川のチームと対戦。自分的に絶好調で栃木に乗り込んだ。
と・こ・ろ・が・・・
前日の夜、栃木の田舎を彷徨い、ようやく見つけたボロいバッティング・センターでのこと。すんごく暗いの。我々の儀式として初球はバントから。そこで最初の事件発生! 打球が顔面に・・・ 
メガネがぶっ壊れた。さて、困った。試合は第1試合。メガネの修理は不可能だ。やむなく裸眼で出場。見えるけど輪郭がぼやけていた。

すごく晴天。真っ白なボールが輝いて見えていた。第1打席、「カッキンーン」とセンター左にクリーン・ヒット。
そ・し・て・・・
第2打席、再び事件が。相手の「こいつだけは気をつけろ」って野次が、心地いい。こっちも打つ気満々。裸眼のせいでいつもよりボールが大きく見えた。相手はカーブを投げる。こいつをじっくり見送って、次の「ストレート狙い」のつもりでしたが、なんとドロンとした球がインコース高めに。「カーブ」と思ったら、白光がそのまま左テンプルに直撃!! 
まぁー命あってよかった。救護班の先生から退場命じられました。左眉毛の端を何針か縫いました。救急車に乗ったのも初めてでした。病院の先生から「もうチョットで動脈切れていたよ」と脅されました。試合はその後ボロボロでした。そんな最期の夏でした。
himebowらしいや。

背番号の話、「21」を希望で貰ったんだけど、これ勿論、東尾修ナンバーですよ。入部当時、ピッチャーのつもりでしたから。かなり自信過剰で入ったのね。僕より上手い人おらんやろうって。ところが、初練習で挫折・・・ みんな相当上手いぞ。そのまま、なんとなくセカンドに入らされて・・・ だったら「4」で基満男がよかったよぉー。

グローブの話は、いつかお宝シリーズで書きましょ。スタジャンの話もいつかまた。
とにかく、嫌というほど野球しましたから。ライオンズ熱も野球小僧熱も大学卒業とともに冷めました(というか、年々進行するメタボ体形で動けなくなった)。そして、音楽の道に進むのであった。

本日、ここまで!!

PS. 画像は痛烈な一撃と4-6-3のダブルプレー。
  さてと、今日は春を探しにツーリングとしゃれ込みますか、ってダサい?

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キター!! スクェアの30周年記念BOX。アマゾンから本日到着。
お目当ては、デビュー前の未発表音源CDである。
この後ね、ゆっくり聞いてみようっと。ワクワク。


前回に続き、私の大学野球編。
入学したものの、なかなか野球部の人にめぐり合えない。こっちは1日も早く入部したいのにさ。勧誘会でやっと入部、軟式も小学校以来なのに「準硬式ボール」ですよ。
このボール、まさに「羊の仮面をかぶった狼」。軟球の形をした硬球です。打撃練習では「カッキーン」って音します。
当時のキャプテンYさんは甲子園目指したクチで、しかもキャッチャー。きびしーい人でした。この部はもう2人Oさん、Tさんというもっと怖い人が三遊間を守ってました。伝統的に厳しいため、入部者が少なく(私の代は私だけ)、かわいがってもらったが、カワイガリも激しかった。
最も凄いのが「暗闇の15分ノック」。15分間、ひとりでノックを受け続けるのだが(15分って大したことないジャンって思われるだろうが、あまーい!!)、ラストはきっちり3球連続キャッチまでだ。当然、3球目でカワイガリだ。1からのスタート。これが10分ぐらい続く。
初めてこれの洗礼を受けた日、「Oさんからおまえに旨いもん食わしてやれって金預かったよ」とAさんに飯連れて行ってもらいました。
入部後、いくつか指導入った。横っ飛びキャッチの件とアッパースイング。私、横の打球を柔道の受身みたいに回転して取りに行ってたの。これ、真横にヘッドスライディングよろしく飛びついていかないと球際が広がらない。再びカワイガリです。またOさんのノックが絶妙。これでもかとギリギリまで広げてきます。時に途方もないとこに打って、取りに行くことさえ無理な場合も慣例として飛び込まなくてはいけません。だからユニフォームは毎回ドロドロ。坊主こそないが、この世界、尋常ではなかった。
月、水、土が練習。日曜試合でした。もちろん雨の日もヘビーなウェートと階段登りが待ってました。
練習の翌日の私のしょぼい姿にクラスの連中どん引き、野球部不人気に拍車をかけるのであった。

さて、1年の春の公式戦、最終戦。この試合、1部リーグ残留のため負けは許されなかった。
当然、私に出場機会などないと玉拾いに徹していた。
と・こ・ろ・が・・・
最終回にOさん守備中、打球を指に当て骨折。しかも骨見えてます。総力戦になりベンチには私を残すのみ。僕のポジションはセカンド。セカンドの先輩がサードに回り、正真正銘の最終回に公式戦初出場。
Oさん、おじさんが世界一有名な野球人だが、この人も球道者。痛みこらえてベンチから私のところへ。
しっかり、両肩つかまれて「俺の目を見ろ!! いいか、お前しかいない。頼んだぞ!」って、余計緊張するよぉー・・・
そしてツーアウト満塁。野球はドラマだって言いますが、そして替わったところに打球が行くっていいますが、なんとフワリとセカンド後方にフライ。himebowはフライの練習してないの、前編で述べましたが・・・ 
ここからの描写は、分かった人は大笑いのシーン。
背走バックした私。見上げた打球は思いのほか高く見えた。振り返りざま、ジャンプ1番。
ところが・・・打球が落ちてこない。私が着地したとき、打球は私のへその辺りに到着。これが噂の「ジャンプへそ取り一回転」の顛末である。
ベンチは沸きに沸いた。だって1部残留キャッチですから。しかも初出場で・・・
しかし、その日の打ち上げで、とある先輩が「あれ、普通のセカンドフライじゃん」のひとことで、その後しばらくは大笑いものでした。

本日、ここまで!!

PS. 画像は夏合宿の紅白戦。絶妙のセーフティー・バント。

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