随分、間が空いたhimebowブログ・・・
前回が6/15・・・
実は、6/16に実父を看取りました・・・
父には申し訳なかったが、コロナ禍を鑑み、家族葬で見送りました。
きっと、いろんな方々に不義理をしてしまいました。
我々、子供達の生活も落ち着き、死去から1ヶ月経過したので今朝の新聞にお知らせを載せました。
ここからは、himebow家の備忘録である。
7年前に母が先立ち、一人になった父。
いわゆるお屋敷に80過ぎの老爺の一人暮らしが始まった。
それまで50年、家のことはすべて母がやってた訳だから、食事から洗濯等々子供達でのサポートが必要となった。
感心なことに風呂の準備と洗面だけは自立してた。。。
癌死した母との10ヶ月の生活は、父を心身ともに疲弊させた。
元々、認知症の家系なのだが、そこを境に認知症が始まった。
とにかく寝る・・・
起こしても起きない。起きているのは食事の時間だけ。
いろんな事への関心が薄れていった。
オイラが主治医となり、カミさんや妹が身の回りをサポート。
夜の晩酌はオイラと弟がお相手した。
刺身と温燗の日本酒があれば、それでよかった。
1年も経たずに、「母さんはどこに行った」が始まった。
「孫達のお世話で京都に行ってるよ」で、すべて納得してくれた。
夜中に電話がかかってくれば、大体ゴルフの準備が始まった合図だった。
「朝、迎えに行くから」で解決したが、寝室に某警備会社のモニター監視を取り付けた。
残念なことに、父が電気を消せばモニターは暗闇となった。
途中から家政婦を雇った。夜中の下の不始末がきっかけだった。
さらに、小規模多機能施設の利用が始まった。
日中はそこで生活し、夜は自宅で我々や家政婦さんで対応。
ここまで5年間が経過した。この間、クリニックに通院してもらった。
6年目は有料老人ホームで過ごした。訪問診療を開始した。
7年目、この1年はクリニックの敷地内にあるグループホームに入所した。
有り難いことに、父の育てた法人内の各施設を利用させてもらった。
それぞれのところで大事にしてもらえた父は幸せもんである。。。
毎年、正月は家長として挨拶してもらっていたが、昨年から難しくなった。
昨年末に転倒して右大腿骨頸部骨折を受傷した。
入院せずに2週間粘ったが、除痛目的でクリスマスに手術した。
術後の不穏と拒食が酷く、大晦日に退院した。
正月早々、マジで大変だった。
とにかく食べない。離床もままならず・・・
訪問看護にも苦労かけた。
さすがに、このまま看取りは寂しすぎる・・・
転機は滋養強壮「ゼナ」だった。。。
たぶん、カフェイン効果だったと思われるが奇跡的に食べ始め、車いす離床にこぎ着けた。
曽孫の誕生や孫の国家試験合格を喜んだりしながら春を迎えた。
それなりに安定した状態を保っていたのだけど、5月末に心筋梗塞を起こした。
家族内で「もう入院はさせない」方針だったので、施設で経過をみることにした。
全く食べなくなり、心不全を併発した。
点滴の針穿刺で不穏は酷くなる一方。点滴治療は中止となった。
幸い、心臓症状は悪化せず、酸素投与も不要となったが、全く食べない。
今回は、「ゼナ」効果も得られなかった・・・
THE ENDである。
看取り対応が始まった。
亡くなる数日前に最後の晩餐をした。
父は少し炙った海苔のにおいが大好きだった。
その海苔を使った、オイラの渾身の親指大おにぎりを手に取って食べようとした。
「父さん、いい人生でしたねぇ~」
何度も言ってみた。実際、いい人生だったと思う。。。
6/16 14:05 老衰にて父は静かに息を引き取りました。
改めて、お世話になった皆様に父に代わって深謝いたします。
本日、ここまで!!
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