続・himebowのダブルバーズな日々

ヤフー・ブログからお引越ししました。 もうすぐ結成15年のスクェア・トリビュート・バンド「ダブルバーズ」な日々を散りばめつつ、ライフワークな「T-SQUARE」「伊東たけし」「福岡ライオンズ」をコアに攻めつつ、自分史のまとめなんぞもしつつ、日々の備忘録的なブログの続編!?でございます。。。

2013年08月

マー君、凄いなぁ。
開幕19連勝
バレンティンの114試合で52本も凄いや!!
王貞治の55本は140試合制だったのだね。
さすがに、今回は妨害はないだろう。
怖いのはケガとかデッドボールでリタイヤかな・・・
楽天がCS1位通過(予定)とか、今年は色々とプロ野球が面白い。
 
 
最近、面白かった“野球”読み物。
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『読む野球―9回勝負―No.1』である。
主婦の友社出版。
 
いまhimebowイチ押しライターの長谷川晶一氏が書いてるのもあるが、特集「三振を読む」が土井正博、金森栄治、若菜嘉晴のロングインタビューなのだ。。。
いずれもライオンズ所縁の猛者。
特に、土井だ!!
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オイラの野球アイドルは東尾修と土井正博って散々語ってる(↓)から、その辺は割愛。
 
今回のインタビューで知った事。
土井正博は、18歳の4番打者、NPB歴代11位の465本のホームランを打ったレジェンドなのだが、通算三振率0.083、「三振しないアーチスト」だったと。
近鉄入団当時、「バットを振った限りは責任を持て」の教えを叩き込まれたそうだ。
追い込まれてからのフルスイング。
当然、空を切れば三振。
三振は唯のアウト。何も産まれないって事だろう。
「とにかく当てろ」と。ただし、スラッガーとしてフルスイングで。
門田博光の三振率は0.171、落合博満が0.149。土井の凄さが判る。
土井曰く「それを気にしなければ600本打てた」と。
現役時代に応援してて、この辺を意識した事なかったなぁ・・・
 
オイラの知ってる土井正博は太平洋クラブ移籍の1975年から西武で引退1981年までの7年間でしかない。
4番なのに、巨砲なのに、他チームの4番と比べて打点が少なかった。70前後だったもの。
なんだか、勝負弱いイメージを勝手に持ってたのだけど、土井の前がしっかりお膳立て出来なかったって事かなぁ。
1975年の1,2番はビュフォード、基で打点82。
1976年は吉岡、鈴木治で73。
1977年、基、立花で67。
以降は田淵4番が主なので、参考にならないか。
いずれにしても、晩年を見てたんだなぁ・・・
こうやって、レジェンドを振り返ると当時と違った見方が出来るんだね。
野球、奥深い!!
 
本日、ここまで!!
 

一昨日のダブバの練習。
週末、SAXのエフェクター音作りに始まり自宅内合宿並みに自主練。
“満を持して”“万難排して”スタジオに行ったのだが、どうした事か緊張してアチコチこけた。
「なしか?」
オマケにMP3録音したはずが電池切れで録音失敗・・・
踏んだり蹴ったりである。
9/7に間に合うのか!?
乞うご期待!?
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ところで最近、めっきり秋っぽい雰囲気。
職場のワンシーンも見ようによって、地中海バカンスっぽい・・・
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リゾート・ミュージックでもかかってれば、尚いいのだが・・・
お奨めはコレ(↓)
Hotel WITH THE STYLE Volume 02 (2005年)
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ホテルをテーマにしたコンピレーション・アルバム。本作は「心と身体を心地好く踊らせるラウンジ・ナイト」をコンセプトに、ブラジリアン・ハウスやドラムン・ベースなどのブラジル音源を中心に収録。
個人的には1,2曲目が好きです。
試聴はここ(↓)
 
この辺のハウス、クラブもので、珍品CDがあるのね。
それがコレ(↓)
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Re:ally?
クラブ・シーンを牽引する存在のi-dep、FreeTEMPO、DJ/リミキサーとして引っ張りだこのSTUDIO APARTMENT、サウンド・プロデューサーの福富幸宏といった豪華トラックメイカーが響演した夢のリミックス盤。
 
どこが珍品か?
ただのクラブ・コンピものなのか?
himebowが珍品というんだから、それはないよ。
Remixの素材がすべてT-SQUAREなのである。
その辺の紹介が一切ない2006年Village Recordsの発売。
オイラもたまたま見つけて買ったんだ。
まっ、興味ある人は、ここで試聴(↓)
 
そういえば、カシオペアのUkremixものってのも以前あったなぁ・・・
カシオペア/カッツ・U.K.リミックス~カシオペア・リコール(1993年)
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本日、ここまで!!

もうすぐ夏休みが終わるねェ。
うちの子なんか、先週から学校始まってるって。
大学生は9月まで休みで、夏休みは2ヶ月あるなんて聞かされて、ウキウキでキャンパス・ライフを始めたのが30年前の1983年だったhimebowだ。
ところがさ、振り返ると夏休みなんて、正味3週間なかったよ。
 
 
あの夏を振り返ると、、、
7月上旬に医学部の前期試験があった。(追試は8月末)
で、お疲れさん会でクラス・コンパ。(コレ終わったら明日は田舎に帰るって奴もいた)
 
翌日、当時住んでた成城の駅北口にあった露店を覗くとバーゲンしてた。で、モスグリーンのアーミーパンツとオフホワイトの開襟シャツを買った。
たぶん、人生最初のバーゲン参加。
 
オイラは野球部なんで、先輩達の試験が終わる7/20過ぎから1週間の通い合宿を経て5日間の長野・飯山合宿出発。
ありゃ、死んだ・・・ 途中、声出し過ぎて中耳炎になったし。
8月初旬、東日本医科学生総合体育大会(東医体)
この年は東京主管(確か帝京大)で大会も都内だった。
曇り空だったね。福島医科大だったかな、相手は。
ブルペンで投げてる相手エースの剛球みて、「負けた」と思ったけど、オイラはベンチだった。
 
そのあと帰省したのだけど、目的は自動車学校である。
免許取ったらブイブイだぜ!って思ってたけど、卒業までペーパードライバーだったって。
 
自動車学校が自転車20分のとこだったんで、教習所通いで苦労はなかったな。
教官も優しかったし。
 
やっと本題だ。。。
この自転車通学?の時に聴いてたのが、コレ↓↓↓
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まだ、この年は貸レコード店が充実してなかった。
学生の分際でテープ購入とは、太っ腹。
 
で、オイラとカシオペアの出会いは、これだった訳。
『ミント・ジャムス』が最初のアルバムってとこが素晴らしい!!
特別に好きな訳じゃないけど、1曲目が“テイク・ミー”でね。
まさに、このバージョン()
この曲とナニワの“ジャスミン”を聴くと、その当時の空気感を思い出すんだなァ。
 
そんな音楽と出会ったオイラは、幸せもんだね。
 
本日、ここまで!!
 
P.S 9月上旬に府中で車の免許取ったんだ。9月中旬から教養課程の前期試験が10日間位あったかな? そんな訳で、実質の夏休みは蝉並みに短かったって・・・
 

土曜は10時間寝たhimebow
よく寝たねェ・・・
ひとつも夢見てないんだ、これが。
最近見た夢、、、
「車運転している自分。どうも景色が違う。対向車が左を走ってる。逆走? 前を見ると一本の矢印が前を向いている。間違いないらしい。しかし、ここはニッポンである。」
標識の夢は、これからの道しるべらしい。
「なんか、違うんじゃないかと思ってもそのまま進め」ってご先祖様の御導き!?
スピリチュアルだな。。。
 
 
スピリチュアルといえば、よくさ、「予感がする」っていうね。
「成功する気がする」とか、「この娘、気があるんじゃない」とか・・・
オイラの場合は、そんな予感は当たったためしがない・・・
 
かなり無理のある前フリだったけど、『予感』である。
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極めて最近知ったんだけど、北原佐和子のラスト・シングルが『予感』だったって。
アノhimebowが、それを知らなかったとは、自分でも驚き!!
Wikiによれば、1985.3.21発売とある。
デビュー「マイ・ボーイフレンド」が1982.3.19発売だった(ちなみに18歳の誕生日だったのか)から3年間のアイドル歌手生命だった訳だ。
 
この1985.3.21ってオイラは何やってたか?
大学2年が終わった春休み。
時期的には帰省中のはずだけど、下宿は本厚木だった。
その春から弟と同居になるから新しい住居を捜してた時期かも。
もはや思い出せないなァ・・・
そんなバタバタの時期。
前作の『悲しきカレッジ・ボーイ』(1984.10.21発売)までは買った。もはや惰性で。
当時は、B級芸能人の情報なんてマイナー雑誌の囲み記事位しか情報源なかったから、新作出たとか、知る由もなかった。
北原佐和子も1984年までは脇役ながらもゴールデンのドラマに出てた。
ビートたけし主演「学問ノススメ」
 
このあと、パタッと見なくなった・・・
オイラ的には、そこで熱は冷めて、無事にアイドル・オタク病は治癒。
 
随分昔に『北原佐和子コンプリート・シングルズ』ってCD買ってたけど、まぁ、聴かないわな、普通。
オイラもそのままにしてて・・・
数日前に、魔が差したように車で聴いてたの。
そしたら、全然知らない曲がかかってて。
タイトル「予感」って・・・
別に新発見の予感がしたわけじゃなかったけれど・・・
結構、いい曲だったりする。
いわゆるカバー曲。
 
これって、小林麻美も歌ってるのね。
ただ、歌詞は別物。
 
で、原曲はGAZEBO の「LUNATIC(1983)
ガゼボって知らないんだけど、イタリアの人気ポップ歌手だって。
I Like Chopin」で一世風靡。
この曲も小林麻美が「雨音はショパンの調べ」で歌っておなじみ。
 
って事で、オイラの北原佐和子情報に大きな欠損が見つかったが、補完で来てよかった。
このシングルEP、オークションで捜してみよう。
 
本日、ここまで!!

唐突だが「ダサい」って、「だって埼玉だもん」が語源でよかったっけ?
「ダサい」の反対語が「ナウい」だったけど、死語だね。
でも、「ダサい」は現在進行形・・・
 
最近見た「ダサい」もの。
楽天の緑のユニフォーム
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杜の都・仙台にひっかけた訳じゃないみたいね。
最初から緑にしときゃよかったのにさ。
やっぱりさ、色ってイメージ戦略だから、himebow世代はグリーン≒南海な訳で。
この緑は常盤色(ときわいろ)って呼ばせてるけど、「何だ、そりゃ」って。
どーも、マー君の偉業もこのユニフォームでワンランク、イメージダウンだって。
 
松坂大輔、メッツのユニが似合わねェ・・・
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今、彼が似合うユニって・・・(単純にユニ姿って意味ね)
カープとか、よくない!?
 
そのカープがエライ事になっちょりますけぇ!!
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オイラ、ステテコ素材かと思ったぜって。
こりゃ、見た目からアウトだろうって。
「ダサい」の一言。。。
 
ユニフォームの似合わない加減NO.1は、、、
ピンク・ユニの竹之内雅史!!
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まさに、「ア゛ァァァ」!!
 
 
 
まっ、暴言吐きまくってる本人が「ダサ過ぎる」訳で・・・
今度の9/7ライブは、これ着て行こうって買ってた訳だけど・・・
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なんか、「買った時より小っちゃくねェ?って。
 
相当、ダサい事になりそうです。
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本日、ここまで!!

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